大坂の陣全史 1598−1616

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家康は、いつ決断したのか?

大坂冬の陣、夏の陣を経て、豊臣家は滅んだ。
しかし家康は、関ヶ原合戦後も、豊臣家滅亡を企図してはいなかった。
大坂の陣に至るまでの十数年、家康は何を考え、どう行動していたのか? 
かたや豊臣方は?──
本書では、秀吉の最晩年から、関ヶ原合戦、方広寺鐘銘事件、大坂の陣前夜、
冬の陣・夏の陣、戦後処理までの実態を、良質な一次史料と最新研究を用いて解明。
今わかりうる大坂の陣のすべてをつまびらかにする。
旧説の誤りを正す論考多数。 

【内容より】
●家康はなぜ、関ヶ原合戦後の十数年も間、豊臣家を生かし続けたのか?
●方広寺の鐘に刻まれた「国家安泰」に、家康呪詛の心はあったか?
●関ヶ原合戦後、九度山に蟄居していた真田父子に「打倒家康」の意志はなかった
●大坂の陣に、浪人衆・一揆勢・キリシタン・寺社・村々はどう関わったか?
●冬の陣後の、大坂城外堀・内堀の「埋め立て」は、豊臣方も了解済だった
●夏の陣後、幕府が執念を燃やした、「豊臣方の落人探索」
はじめに

第一章 豊臣秀頼の誕生と関ヶ原合戦

実子に恵まれなかった豊臣秀吉
豊臣か羽柴か
秀次の経歴
秀次の関白就任
秀次の最期
事件の経過
石田三成が関与したのか
秀頼誕生が原因だったのか
その他の諸説
幼い秀頼の周辺
秀頼を気遣う秀吉
次々と起請文を提出させる
秀吉の最期
秀吉死後の政局
秀頼を支える体制
上杉景勝の不穏な動き
堀氏の讒言
会津征討に向かった家康
関ヶ原の戦いまでの経緯
東軍の勝利

第二章 関ヶ原合戦後の豊臣政権

戦後処理の実態
領知配分の難しさ
領知宛行状がなかった理由
困難だった領知配分
徳川一門・譜代への対応
豊臣秀頼に仕えた人々
秀頼の残された所領
征夷大将軍任官に就任した家康
警戒された秀頼の関白職就任
家康による関白就任阻止
立場が逆転した家康と秀頼
征夷大将軍を世襲した秀忠
幕府による鉱山の掌握
重要都市の支配
京都所司代の設置と畿内の支配
家康と朝廷との関係
秀忠の将軍就任以降
御前帳・国絵図の提出
江戸城などの天下普請
江戸城と城下の整備
駿府城普請と大御所政治
家康と諸大名との姻戚関係
豊臣包囲網の形成
諸大名の改易と配置
家康の上洛
二条城における家康と秀頼の面会
起請文提出における秀頼の扱い
二重公儀体制の提唱
二重公儀体制の再検討
二重公儀体制の有効性
関ヶ原体制から江戸幕府へ
 
第三章 方広寺鐘銘事件の経緯

方広寺大仏殿とは
通説による方広寺鐘銘事件
大仏開眼供養会への難癖
崇伝の要望
強い不満を抱いた家康
文英清韓とは
問題となった「国家安康」
清韓へ手を差し伸べた僧侶
幕府の厳しい取り調べ
煩悶する片桐且元
且元が出した答え
人質の供出

第四章 大坂冬の陣の開戦前夜

進む合戦の準備
劣勢だった豊臣方
豊臣方の臨戦態勢
兵糧米の備蓄
通行禁止の措置
預物の探索
牢人に頼った豊臣方
将来の仕官を願った牢人衆
牢人たちの置かれた事情
牢人停止令の施行
牢人取締令の発令
その後の牢人たち
 
第五章 豊臣方に集まった牢人たち

さまざまな経歴の牢人たち
九度山に幽閉された真田昌幸・信繁父子
借金と病気に苦しんだ昌幸
信繁の苦しい生活
素顔の信繁
昌幸が信繁に与えた作戦
単なる荒唐無稽な逸話
信繁の九度山脱出
脱出法は荒唐無稽な逸話
信繁が示された条件
土佐の大名だった長宗我部盛親
寺子屋を経営し

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